子育てをしていると心配はつきもの。その中でも目に見えない病気や症状は分からないだけに不安になっちゃいませんか?
この記事では本日は自閉症スペクトラムを「歴史」という角度から見ていき、理解を深めていきたいと思います。
精神科医師であり、医学博士である本田 秀夫医師の著書である「自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体」という著書の内容を中心に解説していこうと思います。
ここでなぜ歴史なのか?と思われる方もいらしゃるかもしれません。しかし、概念はその時代によって変化しやすいため、その歴史的流れを知ることは、現在の状況を理解する上で必要と筆者は思います。
夫婦関係のあり方にしても、江戸時代には「男尊女卑」、昭和初期には「亭主関白」、平成となり「男女共同」の世の中となっていきました。現代において「女性は男性の隷属だ。」なんて主張をしたらドン引きならまだしも、非難轟々ですよね。それと同じく「自閉症スペクトラム」という特性の捉え方も、現代にマッチングさせていく必要があるのです。
記事を読み終えると歴史的流れを知り漠然としていた、自閉症スペクトラムの全体像の理解が深まるでしょう。
歴史からひも解く
「子どもの自閉症」は第2次世界大戦により世界が大きく揺れ動いていた、1940年代にアメリカのレオ・カナー(Leo Kanner)とオーストリアのハンス・アスペルガー(Hans Asperger)という2名の医師がお互いの研究のことを全く知らない2人がほぼ同時に論文を発表しました。
当時は戦勝国であるアメリカのカナーの論文が広く読まれ、1950年~1960年まではカナーの主張である、親の愛情不足が招く情緒障害として知られていました。
今では脳の器質的な障害と知られていますが、それでもまだまだその名残により「親のしつけが悪い。」という声につながっているのでしょう。
1968年になるとイギリスの精神科医であるマイケル・ラター(Michael Rutter)が情緒的な問題では無く、認知機能や言語機能の異常であるという「認知・言語障害仮説」を提唱しています。
1970年後半になるとローナ・ウィング(Lorna Wing)がカナーが示した自閉症の子供たち程では無いものの、対人関係の異常を示す子どもたちが幅広く存在することを示しています。ウィングはカナーが唱えた「孤立型」と「受動型」に加えて、「積極ー奇異型」もあることを示しています。
ここでウイングにより自閉症の概念が拡大し、それまでは知的障害を伴うことが圧倒的に多いと思われていましたが、1980年代以降、知的障害を伴わない「高機能自閉症」がかなり存在することがわかってきました。
この頃から「自閉症」から「自閉症スペクトラム」へと認識が変化していったということですね。
1980年に刊行されたアメリカ精神医学会による「精神障害の統計・分類マニュアル第3版(DSM-Ⅲ)」では自閉症だけでなく、その周辺郡も含めたカテゴリー概念として、「広汎性発達障害」という用語が初めて登場しました。
1981年に一方でウィングは1944年にアスペルガーによって書かれた論文を英語圏に紹介し、そこで報告されていたような症例(知的障害を伴わない子ども)をアスペルガーの功績を称えて、「アスペルガー症候群」と呼びました。
アスペルガーの説はカナーの言う自閉症とは別の群であると捉えていましたが、ウィングは双方の説は重なり合うように連続的に存在する概念といて捉え、「自閉症スペクトラム」と呼ぶことを提唱しました。
ウイングの「自閉症スペクトラム」の捉え方は、自閉症とアスペルガー症候群、またはそのどちらでも無い人たちなど様々な状態が含められた複合体として「自閉症スペクトラム」を想定しています。
ここで一度話をまとめると
- 「子どもの自閉症」と言う概念自体が1940年に発見された、比較的新しい概念であるということ。
- 最初は知的障害の有無により二分されていたが、1980年代には重なり合う連続的なものであるとされるようになった。
- 自閉症スペクトラムとそうでない状態の人(定型発達といわれる状態の人)とも連続的と捉えていること。
ここで押さえておきたいポイントは、概念としての境界線が非常に曖昧であるということ。だから一般的なご家庭の親御さんが迷うことは当然なのかもしれないね。
ウイングも「互いの間の境界線は引けないかもしれない。」と述べています。
ここで「広汎性発達障害」について触れておくと、DSMのいう「広汎性発達障害」は広汎性発達障害とそうでない状態との間に明確に線引きをしようというものです。
一つの例えですが、「典型的に背が高い人」と「そうでない人」とを分類しようと思った時に、2人を比較するのであれば、誰がどう見ても明確ですが、2000人を対象にすると、人によって分類にばらつきが出て、明確にここからが「背が高い人」と分ける線は引けないですよね。それと一緒で「ここからここが自閉症」と二分するのは現実的ではありません。
このように「自閉症スペクトラム」は症状や特徴は様々で生活環境などによって、その特徴が目立つ場合もあれば、ほとんど気づかれない場合もあるのです。
あくまで私見的な例えとなりますが、サッカー部の中にすごく論理的で順序立った戦術を好み、そうならないと気が済まないお子さんがいたら浮いてしまうかもしれませんが、将棋部の中にいればそれは普通、もしくは素質がある。となるのかもしれません。逆も然りで、将棋部の中に動き回ることが好きで座っていられない子がいれば、またもや浮くかもしれませんが、サッカー部の中にいればスタミナのある選手。となるのかもしれません。
環境によって「症状」となるのか「特徴」となるのかが変わる。これを自閉症スペクトラムの特徴として理解し、疑わしい場合には早期にサポート体制を整えることが重要ということだね。
自閉症スペクトラムにより何らかの障害が発生する人はどのくらいいるのか?
潜在的には10%程存在していると考えられています。
この中には何の支援もなく(周囲や自分も気づかないまま)社会生活を送られている人もかなりいる可能性もあります。
しかしそれとは逆にその特徴ゆえに対人関係を拗らせ、二次的にうつや適応障害、強迫性障害といった、精神疾患を併発している方もいます。
上記のように何も問題なく過ごせる場合と深刻な二次的問題を抱えるかの予測は現在では困難とされているため、早期発見と早期支援が最重要だと言えます。
この中の多くの人は成人期には症状が目立たなくなる可能性が十分ある人が多く、典型的な自閉症はごく一部で0.3%程度だと考えられています。
具体的な統計については下記をご参照ください。
発達障害者支援に関する行政評価・監視 結果報告書
総務省行政評価局
https://www.soumu.go.jp/main_content/000458776.pdf
まとめ
- 歴史から見ても概念が変移している。
- 明確な線引きは非現実的
- 特性が障害となるのかは、環境によって左右されることがある。
- 10人に1人は特性を持っているということを前提に考え(そんなに珍しいことではないと考える)、周囲の大人が早期から環境を整えることが重要。
いかがでしたか?歴史的にも自閉症スペクトラムの捉え方は変わってきており、現在は自閉症の特性を持っていない(分からないほど軽度)な人も大枠の中では連続していると捉え、その特性により支障をきたすかどうかは環境に左右されることが多い。と捉えるのが望ましいと筆者は考えます。
正直な話、筆者自身も診断はされていませんが、アスペルガー症候群に当てはまるのではと強く感じます。(何か悪いことをしても悪びれた様子が全くない。とよく言われたものです。特定のこだわりもありました。)
私は知らず知らずのうちに環境に恵まれ、今現在は家庭を持ち、作業療法士として社会に出れていますが、どこかでボタンを掛け違えていたら二次的な障害により社会活動ができなくなっていた可能性も十分にあります。
私は運が良かっただけ。で終わらさず、本ブログや日々の活動により、多くの方に情報を伝え、より多くの子どもたちの早期発見、早期支援に繋げ、子どもたちの未来が明るいものになればと思います。
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